2010年10月31日日曜日

空元気(3)

わたしと彼の戦いは熾烈を極めた。元気の源先生にほとんど密着せんばかりになってわたしたちは、互いに鋭く牽制しつつ、その体のあちこちから、元気を奪い取っていったのである。わたしが脇の下からかすめ取れば、彼は股ぐらから素早く抜き取るといった塩梅で、わたしたちはあたかも二人の掏摸、あるいは吸血鬼のように先生に群がったのであった。

すでに彼のほうが元気のお貰いでは先行していたため、わたしは追いつけ追い越せで必死になっていた。そのため、先生のお声がかすれ気味になっていたこと、あるいはお顔色がどす黒くなっていたことや、お体に奇妙な痙攣が生じていたこと、つまり、元気という元気を吸い取られてもはや倒れる寸前であったことに気がつかなかった。

思うに、わたしの敵はすでに同じような戦いを経験していたに違いない。彼はこのような争いがどのような決着を迎えるかを十分知り尽くしており、完全なる勝利を得るために周到な準備をしていたのである。彼こそは真の吸血鬼であった。

先生はやがて空気の抜けるような音とを立て、きりきり舞いをして倒れた。白目を剥いてもう虫の息だ。だが、ライバルはこの瞬間をこそ待っていたのだ。彼は呆気にとられるわたしに飛びかかり、わたしに上回る元気でわたしを押さえつけると、走り寄ってきた先生の家の者たちにこう言ったのであった。

「すぐに警察と救急車を! とんでもない窃盗傷害犯め! 元気泥棒の罪で訴えてやる!」

わたしはその後、駆けつけてきた警官たちに取り囲まれ、パトカーに放り込まれたのだった。背後から聞こえたあいつの勝ち誇った元気な高笑いを決して忘れることはないだろう・・・・・・。

「警察署では、さんざん油を絞られたよ」と、この出来事以来、前にも増して意気消沈しているわたしは友人に電話口でこぼした。「お前が余計なアドバイスをしたせいで、とんだ酷い目にあったんだ」

すると、友人。「なに、油を絞られた? なら、いい油屋があるから、安心しな!」

2010年10月29日金曜日

空元気(2)

その若い男がここに何しにきたかは、疫病神のような顔を見れば一目瞭然だった。わたしと同じように元気の分け前にありつこうと、なけなしの気力を奮い立てて這いつくばるようにしてやってきたのだった。

いつものわたしだったら、こんな塞ぎの虫の親玉のようなヤツと同席することに激しい嫌悪を抱いたかもしれなかった。しかし、わたしは、何のためらいもなく、彼が座れるように腰をずらした。すでにかなりの元気をもらったため、博愛精神が芽生えはじめていたのだ。

再び、清々しい談話がはじまった。元気の源先生は、かけがえのない生命についてさまざまな感動的な実話とともに語り、わたしはそれを聞くやたちまち生命の炎が身中に燃え広がるのを感じた。あまりの熱気にシャツを引き裂かんばかりだった。若者をちらりと横目で見ると、やはり元気をもらっているご様子で、頬に赤みが差すほどの打ち変わりよう。

しかし、この男、身を乗り出して積極的に話にぐいぐい入ってくるので、先生もだんだん新参者のほうを向いて話し出す。これはいかん、とわたしも話に加わろうとするが、二人のやりとりにどうしても食い込むことができない。幾度も無駄に城攻めを繰り返したあげく、わたしはすっかり元気をなくしてしまった・・・・・・そこで、気がついた。わたしは元気の争奪戦に敗れる瀬戸際にいたのである。

わたしは最後の元気を振り絞って、決戦にうって出た。

2010年10月28日木曜日

空元気(1)

近頃何をするにもおっくうで、やる気が出ない。たまたま電話のかかってきた友人に「どうも、元気が湧かなくて」とこぼすと、呆れられた。

「元気が湧かない? そんなことをいってるからダメなんだ。きょうび、元気は湧かすものじゃなくて、もらうものなんだ。どいつもこいつも言ってるだろ。『元気をもらいました!』って。時代錯誤もいい加減にしろ」

引きこもっているうちに時代が変わったらしい。 「もらうって、どこに行けばもらえるのか」

彼はしばらく考えた後、この人なら、という人を紹介してくれた。

半信半疑だったが重い体を引きずって、その元気をもらえるという人物の家に行った。息絶え絶えの有様だったが、それでもそんな気になったのは、すでに友人から多少の元気をもらっていたかららしい。

扉を開けたその瞬間から、その人物はわたしを圧倒してしまった。あたかも彼は烈風のようにわたしを拉し去り、わたしの悩みなどいとも簡単に吹き飛ばしてしまったのである。これ以上の明朗快活、これ以上の活気にわたしは出会ったことはなかった。彼はまさしく元気の源であった。

彼はさまざまなことを話した。世界のこと、平和のこと、国家のこと、幸福のこと、わたしはそれらの美しい言葉を聞いているうちに勃然と立ち上がり、叫びたい衝動に駆られた。もちろん、「元気をもらいました!」のひとことを。

だが、その瞬間、 「先生、またお話をお伺いに・・・・・・」と、怖気を催させるほどに覇気のない声が。別の若者がわたしたちの輝かしい語らいに闖入してきたのであった。この不意の妨害に、わたしはすでに上げかけた腰を下ろさざるを得なかった。

2010年10月12日火曜日

不屈もほどほどに

その次に彼がわたしに示したのは、まったく異様、奇々怪々な光景なのでした。

そこでは無数の人々が鬼たちと闘っているのでした。ある者は銃剣を振りかざし、ある者は竹槍を突き上げ、盛んに叫び声を上げながら、敵に猛突進していきました。敵たちは、鬼のような姿格好はしていませんでしたが、おでこに「鬼畜米英」と記された紙を貼り付けていたのでそれと知れました。

戦闘は一箇所だけで行われているのではありませんでした。遙か上空では戦闘機が唸りを上げて飛び交い、 相手を堕とそうと躍起になって撃ちまくっていました。遠い海原では白波を上げて進む空母に特攻隊が襲いかかろうとしていました。また、地上を進む戦車の群れや、敗走する兵士たちの姿も臨むことができました。かと思うと、工場で働くもんぺ姿の女性たちや、芋の蔓を囓る洟垂れ小僧も見えました。

まるであたかも、かの不幸な歴史が地獄の広大極まりないワンフロアーに出現したかのようでした。

「デアゴスティーニのシリーズ『週刊 太平洋戦争末期の世界 1/1スケール』でこれだけ完璧に再現するとしたら、いったい何週間かかることだろうか! 億ではきくまい!」と、わたしが胸算用していると、全世界に響き渡るような大声が次のように告げました。

「はい、終了〜。残念、原爆また落とされた〜!」

直ちに、凄まじい熱と光が炸裂し、これらの情景をあっという間に破壊し去り、後には焼け野原と一群の男と鬼が残されました。これらの男たちは、原爆などなかったかのように再び武装をはじめ、鬼たちにたいしてもう一度パールハーバーをおっぱじめたのでした。

唖然としているわたしに彼が語りかけました。

「戦争で負けたことを受け入れることのできない負けず嫌いは、死後このような地獄に落ちることとなるのだ。彼らは現実と同じ条件の下に闘い、原爆が落ちるまでの間に勝利することができれば解放されることになるのだが・・・・・・竹槍ではな!」

彼は爆笑していました。そしてわたしも釣られて腹を抱えて笑ったのでした。わたしたちはその場に留まり、原爆が15〜6回ほど続けて落とされるのを見て笑い転げていましたが、やがて飽きたので別の地獄に移動しました。