2011年9月30日金曜日

尖閣諸島

国策捜査を許すな! 売国警視庁にNO!

吉田茂治さんを支援する会

国を憂い、日本民族の誇りのために活動する青年、吉田茂治さんはある日突然、身に覚えのない罪で警察に逮捕されました。

容疑は痴漢。2011年9月8日午後7時、帰途につく人びとを満載した東急目蒲線でのことでした。

警察は吉田さんが当初から否認していたにもかかわらず、犯人扱いをし、むりやり警察署に拉致しました。そして、暴力的な取り調べにより、彼が犯行を行ったという調書を捏造したのです。

わたしたちは吉田さんの逮捕のニュースに驚愕しました。わたしたちの知る吉田さんは、日本民族の誇りを守るために一生懸命働く素晴らしい青年でした。半島人ならともかく、サムライ魂を持った青年がこのような破廉恥な事件など起こすはずがない、というのがわたしたちの直感でした。

そして、吉田さんに面会をし、その話を聞くにつれ、ますますわたしたちは彼の無罪を確信し、それと同時にこの「事件」そのものが、ひとりの愛国者を貶め、破滅させるために仕組まれた罠であることをはっきりと突き止めたのでした。

警察は吉田さんの愛国心を歪曲し、踏みにじり、あざ笑ったばかりでなく、この事件を民主党売国奴政権の都合のいいように利用しようとしているのです。

わたしたちは日本民族に対するこの裏切り、おぞましい自虐を絶対に許すことはできません。

わたしたちはここで事件の真相を明らかにしようと思います。これをお読みになればみなさんも吉田さんが「事件」をおこしたどころか、真に愛国的かつ英雄的な行為に身を捧げたということがおわかりいただけるでしょう。

事件はその猛烈な反韓流デモにより吉田さんが朝鮮人の憎しみを買ったことに由来します。生来の悪質ハッカーである連中はグーグル社の韓国人社員と示し合わせて卑劣極まりない攻撃を仕掛けてきたのです。

きゃつばらはGoogle Earthのプログラムを書き換え、地図に混乱を生じさせ、吉田さんのお尻が尖閣諸島として世界中に表示されるようにしてしまったのです。

何億人もの中国人が吉田さんのお尻にロックオンしました! 中には日本にやってきて、吉田さんのお尻を奪い取ろうとするものまで現れる始末でした。

ですが、吉田さんのお尻は日本固有の領土です!

吉田さんは必死になってお尻を守りました! 上陸しようとする中国人どもを鬼神さながらに蹴散らしました。あるときなどは数十人の中国人にもみくちゃにされ、ついにはお尻もこれまでかと思われたとき、尻の穴から吹き出てきた不思議な神風がモンゴル野郎を失神させたことだってありました。

しかし、憎いのは朝鮮人どもです。連中、高みの見物を決め込んでお尻の攻防を嘲笑っていました。しかもそれに飽きたらず、さらなる過激な攻撃を予告してきたのです。

日本人の尻を無差別にカダフィ大佐の隠れ家として表示するというのです!

多国籍軍の空爆に持ちこたえることのできるお尻がこの日本にいったいいくつあるというのでしょうか?

まさに日本の尻の危機です! 未曾有の国難です! 吉田さんはこの危機にひとりで立ち向かいました!

「ぼくは反日勢力の企みを阻止するために、Google Earthを手がかりにカダフィの隠れ家に仕立て上げられた尻を突き止め、無我夢中でしがみついたのです! 愛国者なら当然の行為です。武士道です。サムライ精神です」

しかし、吉田さんは人びとに取り押さえられ、警察に乱暴に引き渡されました。そして、不当な国策捜査により彼は痴漢の濡れ衣を着せられたのでした。これが日本民族を破滅させようとしている反日勢力の汚いやり口なのです。

獄中の彼の叫びを聞いてください。

「ぼくは天地神明に誓って潔白です。国を愛することが罪なのでしょうか? 民族の誇りを持つことが罪なのでしょうか? 我が身の危険を省みずお尻に手を伸ばすことがいったいなんの罪にあたるのでしょうか? ぼくは警察官に何度もそう尋ねましたが、彼らは何一つ答えてはくれませんでした」

バカへの扉(並行世界)

2011年
治癒不可能なバカが発見される。「バカは死ななきゃ治らない」がいよいよ現実のものに。

2012年
医学博士酒井洋一、治癒不可能なバカを冷凍睡眠状態にし、バカの治療が可能な未来に託すプロジェクトを政府に提案。プロジェクト、国会で承認され、「バカ・フォー・ザ・フューチャー(BFF)計画」と命名される。総合責任者に酒井就任。

2013年
1月1日、BFF計画始動。冷凍睡眠カプセルの開発進む。

2014年
冷凍睡眠カプセルが実用化。未来の医療でバカの治療を希望するバカの募集にバカな応募が殺到。6ヶ月に及ぶ厳正な審査により、5000人の選りすぐりのバカが合格。

2015年
1月4日、5000人のバカ、冷凍睡眠に入る。

1月5日、5000人のバカ、寒くて目が覚める。

2011年9月29日木曜日

シングル・ファンタジー

これはダブルといってもダメなほうのダブルじゃねえの、そう思いました。1980年のことです。

だって、ジョンとヨーコの曲が交互に入ってるんですよ。片っぽはどう考えてもいらないじゃないですか。

ちなみにいいほうのダブルとは、もちろんマックのダブルチーズバーガーです。

それはともかく、当時はまだレコード盤の時代でした。わたしはヨーコの歌が聞きたくなかったので、ジョンの歌が終わるたびにターン・テーブルに飛んでいって、大急ぎで針を動かしたものでした。ですが、そのせいでレコードがすっかり傷だらけになってしまいました。

これじゃダメだってんで、カセットテープに一曲とばしで録音したのですが、やったことがある方ならおわかりのように、それもずいぶんと面倒くさい作業でした。しかも、録音の一時停止ボタンを押すタイミングが難しいんです。イントロが切れたり、逆にヨーコの曲の終わりが入ってしまったり。

不器用なせいもあるのですが、ジョンの曲だけで満足のいくテープを作ることは結局できませんでした(ウォズに頼めばよかったかもしれません。ああいうの得意そうですから)。

ですが、この苦い経験がわたしに風変わりなアイディアをもたらしました。それは、アルバムに入っている曲を、たとえば積み木の1つのように自由に動かせ、組み合わせ、取捨選択する、そのようなシステムを設計することができれば、ジョンの曲だけからなる「シングル・ファンタジー」など簡単に作ることができるのではないか、というものです。

それからというものわたしはこの斬新なシステムの創造に没頭しました。何年もかかりました。実際に製品化されたのは2003年のことですから。そして、それ以降のことについてはみなさんもご存じの通りでしょう。

わたしの製品が音楽の聴き方を革命的に変えた、とみなさんおっしゃいます。ですが、わたしはまったくそうは思いません。21世紀の音楽の楽しみ方を変えたのはわたしでもiTunesでもありません。それは、オノ・ヨーコなのです。(スティーブ・ジョブズ談)

2011年9月28日水曜日

バカへの扉

わたしは自分のバカを治療するためにあらゆることをした。

薬を飲んだ。カウンセリングに通った。手術をした。本を読んだ。セラピーを受けた。レントゲンを撮った。バカに効き目ありと聞けば、どんなことでも試した。しかし、ついに医者たちはさじを投げた。

「現代の医学では、あなたのバカは治せないのです」

わたしは未来に希望を託した。冷凍睡眠状態になって、わたしのバカを治してくれるまでに医学が進歩するのを待とうというのだ。

しかし、そう考えたその瞬間、わたしの目の前に、見たこともない男が現れた。彼は未来からやってきたのだと言い、「今後どんなに医学が発達しようと、あんたのバカを治療することはできないのだ」と断言した。

「だから、冷凍睡眠で未来に来ようだなんて料簡を起こすのは止めてほしい。あんたがそんなことをおっぱじめたせいで、他のバカもこぞって冷凍睡眠カプセルにもぐり込んだんだぞ。おかげで未来は過去からやってきた選りすぐりのバカで溢れんばかり、もう破滅寸前なのだ!」

未来人が涙ながらに懇願するので、わたしは哀れを催した。「わかりました。わたしはぬくぬくしたところでしか決して寝ないと誓います」 未来人はホッとした表情で未来に帰っていった。

わたしは本当にがっかりしてしまった。わたしのバカは永遠に治癒不可能なのだ。

もはやわたしには死しか残されていないように思う。バカは死ななきゃ治らない、これはまことのことだった! ああ、死ぬ間際に少しだけ賢くなった!

わたしが死んだら、その亡骸を石膏で固めて医学部のある大学のどこか広々としたところに置いてくれるようお願いする。そして、台座に「医学への戒め」とだけ記して欲しいのだ・・・・・・。

* * *

そのように書き置いて、わたしが自殺しようとした瞬間、奇怪な影が目の前に現れた。そして、自らを冥界からの使者だと告げ、次のようにわたしに語った。「死んだってバカは治らないよ」

まさに絶望の一言。だが、何とか立ち直ってみせた。バカがダメならアホならどうだ、と閃いたのだ。いまでは自分のアホの治療に奔走する日々だ。