2010年11月25日木曜日

ポジティブ

コップに半分水が入っている。「まだ半分」と思うか、「もう半分」と思うかで、その人の生き方が違ってくる。それと同様に、死に方も異なってくるのだ。棺桶に片足突っ込んでいても、「まだ片足だけ」と思うか、「もう片足しか」と思うかで・・・・・。

2010年11月21日日曜日

真相づくし

猿についての真相を聞いたことはありますか。実は猿というものは、言葉を決して話すまいと決心した人間にほかならないというのです。ええ、本に書いてあります。ですが、何の本か忘れてしまいました。

では、新種にまつわる真相については? ああ、ご存じない。これにも真相があるのですよ。よくニュースで報じられますよね。インドネシアだか、アマゾンとかで、やれ新種のカエルが見つかった、やれ新種のヒトデが見つかったと。あれを、ひょっとして、今まで人の目に隠れていた種がついに発見されたのだ、とお考えではありませんか? 違うのです。そんなものではないのです。あれは既存の発見済みの種が進化したのです。

すかしっ屁の真相ならご存じでしょう。そうです。すかしっ屁が臭いというのは間違いなのです。音のない屁には臭くないものもあるのです。ですが、音もなくて臭くもない屁・・・・・・これは存在しないも同然です。ゆえに、音のない屁でわたしたちの知覚に感知せられるのは、つねに臭い屁なのです。

老人の真相というものもあります。いらっしゃいますよね、80歳、90歳のお年寄りが。そうしたご高齢の方々を見て、みなさん、おっしゃいます。「そんなお年には見えない!」 「お若いですね!」 不思議なことに決まってみなさんそう驚かれるのです。そうです、おわかりになりましたね。若く見える人だけが生き残るのです! 実年齢60歳で、見た目が80歳といった人々は、間違いなくあの世にさっさと旅立つのです。

最後に食べ物の真相を披露致しましょう。よくいますよね、トマトをしげしげと眺めながら「こんな赤くて気持ち悪いものをはじめて食べた人はえらい」という人が。そういう人はまず間違いなくホヤとナマコを見る度に同じことを言うはずです。あるいは感に堪えないといった面持ちでこんなことを言う人がいるかもしれません。「人間はどうやって食べられるキノコと毒キノコを判別したのだろう!」と。 ふぐについても似たようなことを言って、歴史の闇に埋もれた無数の犠牲者に思いを馳せて神妙な顔つきをしている人もいるに違いありません。

ああもう! これはまったくの謬見です。間違いもはなはだしい! まさに教育の荒廃です! 真相はこうです。原初の時代、人類は何でも食べたのです! ふぐの肝でも、泥でも、糞でも、石でも、木の皮でも、毒虫でもえり好みせず、何でも食べたのです。自分でも何を食べたか分からないくらい、どんなものでも口にしたのです。ですが、時代が下るにしたがって、舌が奢ったのです、すききらいが激しくなったのです。そうしてついに食べるものと食べないものの差別が生じたのです。

言い換えれば、われわれはそれだけひ弱になったということです。美食と引き替えに、石を消化する力、木々の強固な繊維を咀嚼する力、ふぐの肝やトリカブトの毒を耐え凌ぐ力を失ったのですから。贅沢は人を脆弱にする、これは本当のことなのです。