2012年12月5日水曜日

総帥魚政(「覚醒超人Jドープ」妄紳名鑑)

【登場話タイトル】第42話「日本を狂わすニシンの野望」(放送日未定)

【妄紳名】さかな妄紳 総帥魚政(そうすいうおまさ)

【妄紳の特徴】
環境汚染により発狂し凶暴化したニシン(魔ニシン)の大群と青年政治家との不幸な出会いによって生まれたのが総帥魚政だ。日本人を魚の奴隷にすることを目論んでいる。

【ストーリー】
若き政治家、増井政夫(立候補時の届け出は増井まさお)は葉山のヨットハーバーでひとり政策を練っているときに、 不覚にも議員バッジを海に落としてしまう。波間にプカプカと浮かぶバッジを取ろうと飛び込む政夫。だが、そのとき魔ニシンの群れが襲いかかり、若者は骨の最後のひとかけらまで食べ尽されてしまう……

それからしばらくして町に奇妙なチラシがあちこちで配られる。見ると「無料でニシンとカズノコ食べ放題! 毎日開催! 主催:日本ニシンの会」と記されており、日頃から食い意地だけは張っているカンちゃんは、乗り気でないサトルを誘って会場に行く。すると、もう大変な人だかり、しかもその群衆のただ中で、何とも異様な風体の男が次から次へとニシン料理をふるまっているのだ。

列に並びようやく待望のニシンの昆布巻きやカズノコたっぷりの松前漬けを前にするカンちゃん。だが、そのとき、サトルはニシンを咥えた人々がうつろな瞳で奇妙なスローガンを口々に話しているのに気がつく。

「日本をニシンに変えよう!」「魚目線の政治!」「釣魚島を釣人島に改称せよ!」「入れ墨よりも鱗!」 「日本領海から外来魚を絶滅させよ!」「ニシン八匹!」

「やめるんだ!」 サトルはひときわ大きなカズノコに食らいつこうとしていたカンちゃんに向かってとっさに叫ぶと、妄紳による恐ろしい野望を食い止めるべくJドープに変身する。

【必殺技】
総帥魚政の得意技は身欠きニシンによる手裏剣攻撃だ。さらに魔ニシンの集合体によってできているそのボディは、どんな攻撃も集合離散で巧みにかわしてしまうぞ。

【弱点】
無党派層をなすニシン収穫率の激減が悩みのタネだ。

【妄紳の最後】
Jドープの注入した国産高純度覚醒剤によってニシンが死滅。正気を取り戻した政夫は政治家を辞め、覚醒剤による幻覚と重いフラッシュバックに苦しみながらも海鮮居酒屋「魚政」と回転寿しチェーン「寿司政」を成功させ、さらには環境問題への熱心な取り組みを通じて企業ブランド力を高め、海外への事業展開をも視野に入れている。

【撮影エピソード】
作中、増井政夫と総帥魚政を演じた俳優の石原太陽さんは実はニシンが大の苦手。毎日5時間かけて新鮮なニシンと特殊メーキャップで総帥に変身する苦行についに音を上げて、思わず「こりゃ徴兵に取られたほうがマシじゃワイ!」

2012年12月4日火曜日

無知の知

わたしが友人と2人で店で酒を飲んでいると、ひどく酔っぱらった男が1人やってきて友人に絡みはじめた。

わたしの友人は医者で、男はどうやらその患者らしかった。ろれつの回らぬ口で男は喚く。「あたしはね、ガンなんだろ、肝臓がやられてんだろ、もしかしたら肺だって、大腸だって! 隠したってこっちゃ、なんだってわかってんだぞ」

友人は穏やかな口調で否定した。そして男が言い返そうと喉を鳴らしているわずかな間にわたしをちらりと見た。その落ち着いた目つきは、彼がこの男の扱いに慣れていることをもの語っていた。おそらく病院でも男はたびたび同じような振る舞いに及んでいるのだろう。

「いいや、先生はあたしの病気を知ってて教えないんだ。いいですかい、そいつあ、人殺しですよ、ひ、と、ご、ろ、し!」

「ですがね、川名さん、前にも言った通り、検査の結果はなんでもなかったんですよ」

「検査なんか! あてになるもんか。あたしにゃはっきりわかるんだ。あたしのからだをおぞましいガン細胞が蝕んでんのを。もう、とことんまで行っちまった。病巣は破裂しちまった。明日にでも死んだっておかしくないんだ」

「もし、そんな状態だったら、とっくに自覚症状がでてるはずですよ」

「ああ、先生、まだわかんないんですか。自覚症状なんか当てになりゃしません。自覚症状がないから恐ろしいんじゃねえか。肝臓ガンに自覚症状なんかありますか? ありゃしませんや! なんつったて沈黙の臓器だから! 自覚症状がないのが肝臓ガンなんだ。だから、もし自覚症状がなければ、肝臓ガンをまず疑わなくちゃならん。先生、あたしはまったく自覚症状がないんだ、本当に驚くくらい! これは間違いなく肝臓がガンに侵されてるってことだ」

「でもね、あなたのね、その論法で行けば、この世のほとんどの人間が肝臓ガンということになってしまいますよ。だって、みんな自覚症状がないんですから」

この言葉は男を激高させたようだった。見る間に顔が真っ赤なった彼は拳をテーブルに振り下ろした。

「そいつぁ全然違う! あたしゃね、自覚症状がないことはちゃあんと自覚してるんだ! 自覚症状がないことも自覚できない連中と一緒にしないでくれっつーの!」 

男は急に喚き散らしはじめた。「先生、哲学を勉強しなさい、哲学を! 医学なんて! 学問の女王に比べれば! あたしはね、幾度もソクラテスの名を! まったく無知の知でさあ! これに尽きる! おおデルポイ! ダイモーン! おおそうじゃ、アスクレピオスにニワトリを捧げなくては! あやうく忘れるところだった! ニワトリ! ニワトリ!」

男は手を鳥のようにパタパタさせながら跳ね回った。テーブルとテーブルの間を飛び回った。コケコケと鋭い声で鳴き立てた。首を伸ばして目を剥いて、ひっきりなしに頭の向きを変えた。もうすっかりニワトリだ。口を尖らかしてテーブルの焼き鳥をついばむ。唐揚げを、軟骨揚げを、ゆで卵を。マヨネーズをひと舐め! わざとやってるんだ。底抜けのやんちゃぶりだった。

だが、見かねた店の主人がついに立ち上がった。主人は男の首根っこを鷲掴みにした。なんと男はたちまちおとなしくなる。夢から覚めたように辺りを見回した。あっけにとられてた。ニワトリが一斉に湖から飛び立ったみたい。男はフラフラと亡霊みたような足取りでわたしたちの目の前から立ち去った。

わたしはその後ろ姿を見ながら嘲弄した。「とんだバカだ!」

すると友人が「その病が一番自覚症状がない」と寂しそうに言った。

2012年12月1日土曜日

目指せ騒音ゼロ社会

子どもが泣くのが問題ならば、出産前診断で泣きそうな子どもだとわかったら中絶すべきだろう。

2012年5月2日水曜日

対話編

「あのさあ、ウコンとウンコって間違えちゃうよね」

「そうそう、俺もウンコをウコンかと思って食べちゃう」

2012年1月3日火曜日

見学

「どんな子どもにも可能性がある。その可能性をできるだけのびのびと育む、というのが、ここの園方針で、そのために、できるだけ自由にカリキュラムを設定しています。たとえば、園児たちは毎朝、自分のしたいことを選ぶことができるのです」

わたしは、彼について歩きながら活気溢れる幼稚園内を見回した。園庭で跳ねまわっている幼児たちもいれば、室内で夢中になって絵を描いているのもいた。元気に走り回っている子もいれば、地べたに座って泥だらけになっているのもいた。

「ですが、あんまり自由にさせていては集団行動ができなくなってしまうのでは?」

「この園のもう一つの特色は異年齢教育で、4歳から6歳までの子どもたちが10人ごとにグループになって朝の支度をしたり、お昼を食べたりするんです。今のお子さんは、横のつながりには強いけれど、縦のつながりが弱いといわれますが、早くからそうした関係を経験すると、成長がちがいますよ」

わたしは子どもたちの中に一人ずばぬけて顔色の悪いのがいるのに気がついた。その男の子は園庭に開いた扉の前に座って、虚ろな眼付で自分の膝を指でなぞっていた。

「以前、この園にお子さんを通わせていた方から聞いたのですが、障害児と一緒になった、とのことで、それが子どもによかったとか」

「ええ、障害のあるお子さんをお預かりしたことも何度もあります。障害のある子もそうでない子も関係なく、一緒に遊んだり生活したりすることが、どちらにとっても良い影響を生むんです」

わたしは膝を指でこすっている子を再び見た。今や彼は身を縮こまらせて自分の顎で膝をぐりぐりやっていた。

「うちの子にも、早くから、なんというか、障害についての教育とか経験をさせたいと思っていまして。そういう経験があると心のやさしい子になるでしょう。犬を飼うのと同じで! で、今も園にそういう子がいるんでしょうか?」

「いえ、今はそうした子はお預かりしていません」

「ああ、それは!」  さすがに、わたしは「残念!」と口に出すことはしなかった。だが、わが子の教育を真剣に考える父として次の言葉を我慢することはできなかった。

「で、どうでしょう、あそこでさっきからボーッとして膝をいじっている子、あの子なんて、ちょっと有望じゃないでしょうか、あともうひと押し、ガツーンとやっちゃえば」

2012年1月2日月曜日

SF未満

人口70億は確かに多い。

だが、人類による銀河系征服のきっかけとなるには、まだまだ少なすぎる。

2012年1月1日日曜日

一日を最後の日のように

震災以後、彼は生きる態度を変えた。

人間の弱さ、儚さ。そして、それにもかかわらず生きようとする人間の尊さ。

「俺の命もいつあんな風に失われてしまってもおかしくないのだ」

今日この日が自分の最後の一日かもしれない、そんな気持ちで必死になって生きよう。彼は固く心に誓った。

彼は自分の人生を振り返った。犯した罪や不和、いさかい、過ちにまみれた人生。

「孤立や分断ではなく、和解と融合によって生を終えたい」

憎んだり憎まれたりした人々、裏切ったり裏切られた人々、誤解を互いに放置したままの人々、しかるべき謝罪をしなかった人々。これらの名前をすべて書き出した。膨大なリストになった。

彼はそのすべてに電話や手紙で連絡を取り、ただ謙虚に許しを乞うた。時には会いに行ったりした。一日仕事だった。しかもこれは毎日やらなくてはならなかった。「人生最後の日のメニューが日替わりであってはならん」 これが彼の口癖だった。もっとも、誰一人、その意味は理解できなかったのだが(このわたしにも)。ともかく、今日この日が自分の最後かと思うと、どうしても許しを乞わずにはいられないのだ。

また同時に、彼にとっていかなる出会いもかけがえのない貴重なもののように思えてきた。外に出ると、見かける人すべてがいとおしくてたまらない。

「俺はどんな人との触れ合いもひと時も逃したくない、一期一会に徹して死を迎えたい」

そんなわけで、街のあちこちで必死の形相、決意の覚悟で人に声をかける彼の姿が見かけられるようになった。

彼がこんな生き方を始めてから、一週間が過ぎ、一月が過ぎ、一年が過ぎ、一〇年、二〇年と過ぎた。

今では、街中の人が「彼の最後の日が今日来ればいいのに」と思ってる。