2013年7月30日火曜日

霊の名前(3)

修道院の事務室で,老神父(マルタン師という名だった)は佐海に分厚い紙束を差し出した。「佐海さんに出版のご尽力を頼んでほしい,というのです」 佐海の父は全国でも名を知られた出版社の創業者だった。そして,かつて椿にこう語った記憶が蘇った。「お前が本を出すときは,俺のところから出してやるぞ」 椿は約束を忘れていなかったのだ。

紙束の一枚目に「近代聖書文献学批判序説 オムニス資料仮説の検討 椿陽一著」と記されているのを見ながら,かつてその約束をしたときの椿に自分がどのような書物を期待していたかを思い出そうとした。人間の知覚・認識構造のすべてを詳細に描き出すことによりそれらを突破し,悟りに似た経験をもたらす哲学的著作,語られる一言一言に古代日本語から現代語に至るまで意義の差異が内包され,あらゆる一節で日本民族史が響きあう現代小説,あるいは魂と社会と存在の深淵へと容赦なく下降していくひとつの足取りを描く『神曲』さながらの長大雄渾な叙事詩……。それらは,現在出版社を経営する者の目から見ても今なお魅力的な企画に思えた。だが,この手の書物は……,と彼は原稿をぱらぱらめくった。丁寧な文字で満ちたそれらのページは,修正,加筆,切り貼り,紙の継ぎ足しで覆われていた。驚くべき辛苦の跡だった。これは椿の生涯の仕事なのだ。内容が何であれ,俺はこの原稿を形にしてやらねば……

神父はしかし,佐海の沈黙を逆に解釈した。「費用が問題でしたらば……フレール・アントワーヌに用意があるかと……」

佐海はきっぱりと言った。「いえ,これはぼくと椿との約束みたいなものです。できる限りのことはしましょう。ですが,少し内容についてお話し願えませんか? なにしろ聖書の知識すら怪しいぐらいで」

「ああ」 マルタン師は複雑な表情を浮かべた。「非常に高度な問題が扱われています。まことに申しにくいのですが,私もこの分野には疎いので。ウージェーヌ師がご存命なら良かったのですが……」 しかし,彼は自分に分かるだけは説明しようと決意したようだった。

「前修道院長のウージェーヌ師は,聖書文献学の泰斗として知られたお方でした。専門的な著作もいくつか出されております。あとでお見せしましょう……聖書文献学とは聖書を聖典ではなく,ひとつの文献資料として捉え,綿密な比較と批判を通じてその成立過程を明らかにする学問です。これは19世紀のドイツで盛んになった関係上,どちらかというとプロテスタントの学者が多いのですが,フランスとドイツで神学を修められたウージェーヌ師はカトリックの立場から聖書原典批判に取り組んでおられたのです……

「聖書については新約と旧約があるのはご存知かと思います。新約のはじめの四書はイエスの言行を記したマルコ,マタイ,ルカ,ヨハネの福音書なのですが,このうちはじめの三つには共通する逸話が多く,テキストを綿密に検討した学者たちは,これら三つの福音書(共観福音書と呼ばれておりますが)の作者たちが共通して参照したと考えられるギリシア語古資料の存在を確信するに至りました。もっとも古いイエスの言行録とでもいえるその失われた資料を,学者たちはドイツ語のQuelle(源泉)の頭文字をとってQ資料と名づけ,爾来現在に至るまでこの資料の性質に関してさまざまな議論が繰り広げられています。

「いっぽう,聖書文献学は旧約聖書についても大きな成果を上げました。とりわけモーセ五書の巻頭を飾る『創世記』の研究が有名でして,本文の綿密な批評的研究はこの書が少なくとも三つのヘブライ語伝承資料から成ることを明らかにしたのです。その三資料とはヤハウェ資料と呼ばれるJ資料,エロヒスト資料と呼ばれるE資料,祭司(プリースト)の関与の色濃いP資料なのですが,いわば『創世記』とはこれらの三資料の継ぎ接ぎだと考えられたのです。後になって,本文批判研究の蓄積にともない,この説(文書仮説と呼ばれますが)には多くの反論が寄せられるようになりました。ある宗派の中にはこれを完全否定するものもあるほどです。しかし,この文書仮説の熱烈たる擁護者がウージェーヌ師だったのです。ウージェーヌ師はP資料の徹底的再検討を行い,これが従来J資料,E資料と見なされていたテクストにも広がっていることを明らかにするともに,従来バビロン捕囚期(紀元前五世紀)とされていたその成立年代を綿密な歴史的検証のもと紀元前三世紀にまで引き下げる修正文書仮説を提出いたしました。それがこの」とマルタン師は書棚に手を伸ばして革装の大型本を取り出した。「"Das Überdenken der historische Positionierung der Priesterschrift(『祭司資料の史的位置づけの再検討』)"です。これはまったく衝撃的な書物でした。なぜなら,天地創造という最古の物語が,実のところ旧約聖書で最後に成立した部分だというのですから……

「ちょうど四年ほど前のことでしょうか,1人の青年が私どもの修道院の門を叩いたのは。彼は独自に聖書の研究を進めていることを告げ,かの重要な研究書の著者であるウージェーヌ師との面会を求めました。専門家ですら通読するのが難しいあの大著についてさまざまな疑問を携えて,直接著者に問うべくこの山奥にまでやってきたのです。ああ,出会うや否や二人が寝食を忘れて議論を交わしていたのを思い出します。それは傍から見ましても得難き出会いでした。言葉を交わすや否や双方が一瞬にして通じ合い,互いを認めあったのです。そして,次の朝には,ウージェーヌ師の勧めを待つまでもなく,その青年はこの修道院に見習いとして入会することを高らかに宣言したのでした。彼は規則に定められた通りの見習い期間を修了し,半年ほど前にフレール・アントワーヌ修道士として召命の道を私どもとともに歩むこととなりました。確かに,彼は当修道院ではもっとも新しく未熟な者ですが,その学識たるや,ウージェーヌ師の薫陶のおかげもあって,ここばかりでなく教区全体を見渡しましても,彼より優れた者は1人としておらぬほどの者となったのです。

「フレール・アントワーヌは新約について何年も研究を続け,Q資料の問題に関して相当の見識を抱いておりました。そして,ウージェーヌ師の著作を読んだ後,Q資料とP資料との間に何か実質的な関連があるのではないか,と考えたのです。まったく聖書学的にいえば荒唐無稽な仮説です。というのも,P資料はウージェーヌ師の説を受け入れるとしても紀元前二世紀にアラム語で書かれたのに対して,Q資料はどう早く見積もっても紀元五十年前後に成立したギリシア語文献です。両者に何らかの関係があるとは普通は考えられません。しかし,驚くべきことにこの仮説はウージェーヌ師を興奮させました。二人は最初の出会い以来,Q資料とP資料との関係の究明に没頭することとなったのです。

「私は通り一遍の聖書学の知識しかないもので,この二人がどのような研究を行っていたかについてははっきり申し上げることはできません。それに,それはこの原稿に必ずや述べられていることと思います(ついでにいうならば,この研究を論文として整理するようにフレール・アントワーヌに慫慂したのはウージェーヌ師なのでした)。私には難しくてとてもとても……。ですが,ひとつだけ私が理解していることがあります。それは,二人がQ資料とP資料との仲立ちとなるような宗教的文書を仮定し,それをO資料と呼んでいたことです。このOというのはラテン語で「すべて」を意味するOmnisの頭文字……そう,表題にあるオムニス資料とはこのことなのです」

2013年7月28日日曜日

霊の名前(2)

この老神父から佐海のもとへ手紙が届いたのは四日ほど前のことだった。神への賛美と畏怖に彩られた古風な文体のその手紙から,彼は大学以来十年も音信不通だった友人が,最果ての修道院に寄留し,しかも死の瀬戸際にあるということを知った。神父は,椿が「この現し世の最後の望みとして」佐海にしきりに会いたがっていることを記し,同時にこれが修道院にとっても非常に厳粛な意味を持つことをほのめかしていた。佐海はこの非凡な友人が両親の不幸な死以来,天涯孤独の身であったことを思い出した。そして,彼が引き継いだ莫大な遺産が彼にどれだけ神秘的なオーラを与えていたかを。「今や椿陽一兄の命,旦夕に迫ろうとしております。兄のもっとも親昵なる友である貴兄の来訪を切にお待ちする次第。いと高き主の恵みとお守りが貴兄にあらんことを祈りつつ」と手紙は結ばれていた。

老神父は一刻も早く佐海を椿のもとへ連れて行きたいようだった。佐海は彼の促すままに広間を通り抜け,庭に面した拱廊を進んだ。手入れの行き届いた草花が激しい雨の予感に押し拉がれていた。

「それほど椿は悪いのですか」

老神父は声を顰めて答えた。「残念ながら……なにしろ猛烈な発作なのです。ただでさえ細い身体があれほどまでに……すっかり衰弱し切ってましてな,次の発作は持つまい,というのがお医者さまの意見で。本当に駆け付けてくださったのは,私ども,あ,つまり,あの方にとって大いなる喜び……」

「で,何の病気なのです」

「ああ! それが分からないのです。もっぱら精神的なものとの見立てでございます。なにしろ熱烈な信仰をお持ちの方で……それこそ命をすり減らすような非常な献身を続けられた結果かと。ですが,ここ数日は安らかな日々で,これがずっと続けば良いのですが……」

挟廊の奥の突き当たりには扉がいくつか並び,そのひとつを老神父はそっと叩いた。別の修道士が扉を開けると,老神父は優しい声で呼びかけた。「フレール・アントワーヌ(アントワーヌ兄)! あなたのお友達がいらっしゃいましたよ!」

彼は,庭に大きく開いた窓を背景にベッドに横たわっていた。まるで骸骨のようにやせ細っていはいるが,その繊細でくっきりとした横顔は紛れもなく彼のものだった。朦朧として目の焦点も合わない様子で,まるで羽毛か影のようにはかなげに見えた。

「椿! 来たぞ! 来たぞ!」 佐海は励ますように叫んだ。

その目にかすかな光がひらめき,灰色の顔を生気が波立てた。

「俺はお前がベッドにいるのを見れてうれしいよ! お前,大学の頃,寝ないのが自慢だったもんな!」

椿はあどけないほどの笑みを浮かべ,佐海をじっと見つめている。

「いつも本ばかり読んで,かと思うと議論,議論,議論だ。まったく寝る暇なんてありゃしない。俺はいつかこうなると思ってたぜ」

うれしそうに喉を鳴らす。

「ゆっくり休んで早く元気になることだな。しかし,俺は驚いたね,お前がキリスト教徒になったとは! ほら,あいつ,覚えているだろ,あのキリスト教徒の教授,そう飯島だ,お前,講義中にあいつに言ったこと覚えてるか,そりゃひどいこと言ったじゃねえか……」

まったく大学時代の思い出は尽きなかった。話しているうちに佐海は感傷的な喜びを感じたが,それは確かに椿に伝わっていた。ほとんど話すことができなかった彼が,いつしかため息に似た言葉で佐海の記憶を補ったり,訂正しようと試みていた。左翼の過激派が乗っ取った大学公認サークルを,椿が巧みな計略により奪還するという名高い冒険についてひとくさり話題にすると,佐海はやや改まった口調で尋ねた。「で,俺に何の用があるんだ。なんだってするぜ,それでお前が元気になるのなら」

たちまち椿の顔に赤みが差し,異様な光が目に宿った。彼は掛け布団から手を出し,うめきながら老神父を指差す……それまで黙って見守っていたその人は飛び上がらんばかりに驚き,ベッドに駆け寄った。「おお,フレール・アントワーヌ,大丈夫ですとも,私からきちんとお話しします」 やさしく椿の手を握る。「少しお休みいたしましょう。お体に触るといけませんから。佐海さんにはちゃんと話しますとも」

「そうそう,少し休んだほうがいい。安心しな。俺はまた後で来るよ」

佐海がそう告げると椿は幼児のように目を閉じ,まどろみはじめた。短い面会は友人をひどく疲弊させたようだった。邪気のないその寝顔を佐海は痛ましい気持ちで見つめた。

2013年7月27日土曜日

霊の名前(1)

鬱蒼とした森の上に古びた鐘楼が迫り上り,山道を登るにつれ修道院がゆっくりと姿を現した。

一歩一歩踏みしめながら佐海は椿陽一のことを考えていた。まったく信じられないことだった。学生時代にその鋭利な知能を恐れられた彼,誰もが有望な前途を疑わなかった輝かしき親友が今,この世に隠れた修道院で息絶えようとしているとは。昼を過ぎた辺りから曇りはじめた初夏の空は次第に陰気さを増し,それに急かされるかのように佐海は足を速めた。

不意に竹薮がざわめき,奇怪な風体の男が姿を現した。「おおお,ここは悪霊の巣じゃぞ!」 ぼろぼろの僧服から突き出した裸足の足を踏ん張って佐海の前に立ちふさがり,獣のように叫ぶ。「お前には手に負えぬぞ!」 歪んだ顔で睨みつけるその目はギラギラと狂気に燃えていた。 「悪霊どもよ! 有効じゃ!」 男は手にぶら下げた何かを振り回した。それが鶏の死骸であることに佐海は気がついた。「ゆーうーこーうー!」

そのとき,犬の鳴き声が修道院のほうから聞こえた。怪人はとたんに怯え出し,弱々しげな目で辺りを見回す。と,ううう,と唸りながら,再び藪の中に飛び込んだ。激しい葉擦れの音が遠ざかっていった。

佐海はこの異常な雰囲気にまったく圧倒されてしまった。修道院の鉄門の前にようやく立ったときも,彼は身の震えを抑えることができなかったほどだった。

呼び鈴を押さぬうちに,玄関から老人が小走りにやってくるのが,鉄柵越しに見えた。老人は鉄扉を開き,控え目な笑みで客を迎え入れた。「犬が吠えたもので! もうおいででになったとピンと来たわけで!」

老神父は佐海の青ざめた表情に気がついたとしても,それにこだわっている余裕などなかった。彼は明らかに佐海の来訪に有頂天になり,また同時に深い安堵を感じていた。

「お待ちしておりました! ええ,間に合いましたとも。本当に良かった! 今は落ち着いております。どうぞこちらへ!」 一匹のグレーハウンドがどこからともなく走り寄り,二人を玄関へと先導した。