2012年1月3日火曜日

見学

「どんな子どもにも可能性がある。その可能性をできるだけのびのびと育む、というのが、ここの園方針で、そのために、できるだけ自由にカリキュラムを設定しています。たとえば、園児たちは毎朝、自分のしたいことを選ぶことができるのです」

わたしは、彼について歩きながら活気溢れる幼稚園内を見回した。園庭で跳ねまわっている幼児たちもいれば、室内で夢中になって絵を描いているのもいた。元気に走り回っている子もいれば、地べたに座って泥だらけになっているのもいた。

「ですが、あんまり自由にさせていては集団行動ができなくなってしまうのでは?」

「この園のもう一つの特色は異年齢教育で、4歳から6歳までの子どもたちが10人ごとにグループになって朝の支度をしたり、お昼を食べたりするんです。今のお子さんは、横のつながりには強いけれど、縦のつながりが弱いといわれますが、早くからそうした関係を経験すると、成長がちがいますよ」

わたしは子どもたちの中に一人ずばぬけて顔色の悪いのがいるのに気がついた。その男の子は園庭に開いた扉の前に座って、虚ろな眼付で自分の膝を指でなぞっていた。

「以前、この園にお子さんを通わせていた方から聞いたのですが、障害児と一緒になった、とのことで、それが子どもによかったとか」

「ええ、障害のあるお子さんをお預かりしたことも何度もあります。障害のある子もそうでない子も関係なく、一緒に遊んだり生活したりすることが、どちらにとっても良い影響を生むんです」

わたしは膝を指でこすっている子を再び見た。今や彼は身を縮こまらせて自分の顎で膝をぐりぐりやっていた。

「うちの子にも、早くから、なんというか、障害についての教育とか経験をさせたいと思っていまして。そういう経験があると心のやさしい子になるでしょう。犬を飼うのと同じで! で、今も園にそういう子がいるんでしょうか?」

「いえ、今はそうした子はお預かりしていません」

「ああ、それは!」  さすがに、わたしは「残念!」と口に出すことはしなかった。だが、わが子の教育を真剣に考える父として次の言葉を我慢することはできなかった。

「で、どうでしょう、あそこでさっきからボーッとして膝をいじっている子、あの子なんて、ちょっと有望じゃないでしょうか、あともうひと押し、ガツーンとやっちゃえば」

2012年1月2日月曜日

SF未満

人口70億は確かに多い。

だが、人類による銀河系征服のきっかけとなるには、まだまだ少なすぎる。

2012年1月1日日曜日

一日を最後の日のように

震災以後、彼は生きる態度を変えた。

人間の弱さ、儚さ。そして、それにもかかわらず生きようとする人間の尊さ。

「俺の命もいつあんな風に失われてしまってもおかしくないのだ」

今日この日が自分の最後の一日かもしれない、そんな気持ちで必死になって生きよう。彼は固く心に誓った。

彼は自分の人生を振り返った。犯した罪や不和、いさかい、過ちにまみれた人生。

「孤立や分断ではなく、和解と融合によって生を終えたい」

憎んだり憎まれたりした人々、裏切ったり裏切られた人々、誤解を互いに放置したままの人々、しかるべき謝罪をしなかった人々。これらの名前をすべて書き出した。膨大なリストになった。

彼はそのすべてに電話や手紙で連絡を取り、ただ謙虚に許しを乞うた。時には会いに行ったりした。一日仕事だった。しかもこれは毎日やらなくてはならなかった。「人生最後の日のメニューが日替わりであってはならん」 これが彼の口癖だった。もっとも、誰一人、その意味は理解できなかったのだが(このわたしにも)。ともかく、今日この日が自分の最後かと思うと、どうしても許しを乞わずにはいられないのだ。

また同時に、彼にとっていかなる出会いもかけがえのない貴重なもののように思えてきた。外に出ると、見かける人すべてがいとおしくてたまらない。

「俺はどんな人との触れ合いもひと時も逃したくない、一期一会に徹して死を迎えたい」

そんなわけで、街のあちこちで必死の形相、決意の覚悟で人に声をかける彼の姿が見かけられるようになった。

彼がこんな生き方を始めてから、一週間が過ぎ、一月が過ぎ、一年が過ぎ、一〇年、二〇年と過ぎた。

今では、街中の人が「彼の最後の日が今日来ればいいのに」と思ってる。