2011年1月31日月曜日

論語のもっと新しい読み方

昔、ある牧師曰く。

「わたしは60歳になりましたが、60歳というと、孔子がこんなことを言っているんですね。『六十にして耳従う』と。耳従うとは、多分、相手の話をよく聞けるようになるとか、相手の忠告をわだかまりなく受け入れることができる、というような意味ではないかと思うのですが、孔子がこんなことを言う、というのは、多分、自分がそうしたことができないことがままあるので、そうしなくちゃいけないなあ、という自戒を込めてですね、語ったと思うんですね。

「孔子ほどの聖人が、そんな自戒をするのですから、わたしのような凡人が、相手の話をよく聞くなんてできっこないんですね。そんな偉い人ができないんだから、自分が無理して相手の話なんか聞こうとするのは無駄というか、むしろ、そんな無理はするな、っていっているような気がしまして、つまり、逆に、相手の話なんか聞くもんじゃない、っていう意味で孔子は言っていたんじゃないかな、と思いまして。他人の忠告なんか聞かずに自由に生きよう、って考えると、励まされたというか、60になってますます人生楽しくなったという次第で」

そりゃ楽しくなるだろ。

教育の現場から

大村、前に出ろ。先生は、君に言いたいことがある。

今日、宮崎と内藤が先生のところにきて、君が川口に言ったことを教えてくれたぞ。

二人は君が川口に「お前なんか死んだほうがましだ」「お前なんか生まれないほうがましだ」と言っているのを聞いたというのだ。おい、大村、これは本当のことなのか。

「はいっ」

そうか。ならば、先生に教えてくれないか。君は、川口に対して「お前なんか死んだほうがましだ」と言ったのか? それとも「お前なんか生まれないほうがましだ」と言ったのか? それともその両方を言ったのか?

「両方ですっ」

先生はそれを聞いてとっても残念で悲しい気持ちになったぞ。いや、悔しい! そして、教育者として、この許し難い過ちを子どもに犯させてしまった自分が憎い!

大村、よく聞くがいい。「お前なんか死んだほうがましだ」と「お前なんか生まれないほうがましだ」とはまったく別物なのだ! この2つを一緒くたにするなど、トンでもない!

死んだほうがましなヤツとはな、そいつの人生をつぶさに調べた結果、これは生きるよりも死んだほうがよろしい、と思わせるようなヤツなのだ。

だが、生まれないほうがましなヤツときたら! もう全然ダメ! 生きることも、それどころか死ぬことも全然許されないようなヤツなのだ。死んだほうがましなヤツには、少なくとも死んだほうがましという結論に至るまで生きることが許されていた。ところが生まれないほうがましなヤツは、もう完全なる否定! そもそもからして失敗!

なのに、大村、君はこの2つをまったく区別しなかった。先生はそれが残念でならない!

「先生、わかりましたっ」

なら聞こう! 君は今、川口のことをどう思うかね? 川口、ちょっと来て前に立ちなさい。さあ、大村、よく見るんだ。川口は「死んだほうがまし」なのか? 「生まれないほうがまし」なのか?

「生まれないほうがまし、ですっ」

先生もそう思う! 今日のホームルームはこれで終了!

2011年1月27日木曜日

推理

高校を卒業して1年ぐらい経った頃の話。

わたしの同級生のひとり、Yが、別の同級生、Hに木更津の街角で偶然出会った。「おお、久しぶり、何してる?」などと言葉を交わしながら、YはHの額が若干広がっているのを心に留めた。

半年ほどして、Yは再びHに、今度は千葉のあたりで思いがけなく出くわした。東京の大学に通うYは「奇遇だねえ」と学生気分まる出しだ。「何してんの、こんなとこで」「まったく!」などと意外な再会を面白がって二人は別れたのだが、YはHの額がさらに後退しているのに気がつかずにはいられない。

そんな話を別の同級生にしたら、そいつもこの間、思わぬところでHと鉢合わせしたと話す。Yはしばらく考えた後、「Hがハゲるのは、俺たちに偶然会うことが多すぎて、ビックリするからではないだろうか?」と推理してみせた。

2011年1月25日火曜日

地獄史観

その次にわたしが連れて行かれた地獄では、それまで以上に凄惨な責め苦が繰り広げられておりました。わたしはあまりの残虐さに内蔵に変調をきたし、ひどい下痢に見舞われたどころか、小便をすべきところから脱糞してしまったほどでした。

「おお、ここは何の地獄なでしょうか。わたしはここ以上に恐ろしいところはまったく知りません!」

すると彼は答えました。

「これらは生前、反日思想と自虐史観を徹底的に批判し、誇りに満ちた日本のための歴史教育とやらを提唱していた者どもである」

「なんと、わたしは歴史教育のことはとんと分かりませんが、行いの善悪のみならず思想信条によっても地獄に落とされることがあるとはなんとも恐ろしいことです!」

彼は呵々大笑して次のように言ってわたしの誤解を解いてくれたのでした。

「ああ、これらの愛国者たちにはむしろ鬼として活躍してもらっているのだ! 人間界における犯罪の増加、モラルの低下、モンスターペアレンツの跋扈、ネットの掲示板の発明などにより、地獄に堕ちるものの数が急増し、鬼の数が足らなくなっているため、これらの毅然とした人々を臨時雇いとしている次第なのだ。なにせ、自虐を憎むことにかけては鬼以上という連中なのでな!」

「なるほど、まさにこれらの凛とした人々以上に他虐にうってつけの人々はそうは見つからないでしょう!」

まさにそのとき、臨時雇いの鬼のひとりが、罪人の性器を立派な歴史教科書でめった打ちにしているところでした。

「ところで、この汚らわしい罪人どもはどのような罪を犯したのでしょうか?」

「ここの地獄に落とされたものは、みな、生前、良家の子女の前で、自らの猥褻なる箇所を陳列した外道である。地獄では、その罪人に似た傾向を持つ者が責め苦を担当する仕組みになっておるのだ!」

その鬼は罪人の性器を歴史教科書でバチンと挟んだり、しおりのヒモできつく縛り上げたりしていました。

「これを適材適所といわずしてなんといいましょうか!」 わたしは在世中には居場所のなかったこれらの人々が、死後生き生きと働いているのを見て、大いに励まされたのでした。