2010年9月28日火曜日

永遠に評価定まらず

その次に彼に連れてこられた場所でわたしは、驚くべき人々が鬼たちに苦しめられているのを目撃しました。

それらは中曽根康弘、安部晋三、菅直人たち著名な政治家たちであり、彼らは鬼に灼熱の勲章を地肌に突き立てられたり、鬼の遺族会に責め立てられたり、掲示板で鬼のネチズンに罵詈雑言を浴びせかけられたりしていたのでした。

生前は政治家として頂点に登り詰め、その権勢並びなき者であったこれらの人々も、地獄にあっては鬼の無党派層に相当苦しめられている模様でした。

「国家のために自らを犠牲にしたこれらの賢人たちに対して、これはあまりの仕打ちではないでしょうか!」とわたしが彼に詰め寄ると、次のような答えが返ってきました。

「これらの愚人どもは『政治家の評価は歴史が決める』とか、『政治家は歴史という法廷で裁かれる』とか、その他それに類することを言って、自らの政治的行為に対する責任を後世に丸投げしたばかりでなく、国民が政治家を評価するという民主主義の原則をも軽視したため、このような責め苦にあっているのだ」

「ですが、ある政治的決断のもつ評価が、時の経過により好転することもあるのではないでしょうか。これらの政治家たちにしても、その業績の真価を見極めるには、まだ時期尚早なように思われますが」

すると、彼は重々しく答えました。「鬼の責め苦の評価とて、決めるのは歴史なのだ」

わたしはこの言葉に仰天しました。「なんと、地獄も『棺覆って事定まる』のシステムだとは! だがそもそも鬼は死ぬのだろうか」 わたしはいろいろと考えをめぐらせるうちに、恐怖にとらわれました。というのも、頼みの綱の因果応報そのものも非常に疑わしいもののように思われてきたからでした。


【追記】
志賀直哉が随筆「銅像」で次のように書いている。

東条は首相の頃、「自分のする事に非難のある事も承知してゐる。然し自分は後世史家の正しい批判を待つよりないと思つてゐる」かう云つてゐたと云ふ。その後、新聞で、同じ事を云つてゐるのを読んで、滑稽にも感じ、不愉快にも思つた。

こう述べた後、志賀直哉はある巧妙なやり方で東条英機を蹴り落とすのである。(2010/X/08)

2010年9月20日月曜日

吸いたがり

「タバコを吸っているまさにその時に、こんな風に思ったことはありませんか?」と彼。「ああ、タバコが吸いたい、と。あたかも自分がタバコなど口にしていないかのように。これぞ悲喜劇というものです」

「そして」とぼくは続けた。「それが依存というものです」

「ええ、その通り。直ちに治療が、通院が、パッチが必要、というわけです。ですが、物事にはさまざまな見方があります。わたしはこう考えたのでした。わたしが吸っているタバコは、実は偽物で、本当のタバコではないからそう感じるのだ、と。そして、その本物こそが、どんなに吸っても癒されぬ空虚な気持ち、まさに吸っているその時に感じられる満たされぬ思いを解消してくれるのだ、と」

「そのように考えて麻薬に手を出す人もいます」とぼくがいうと、彼は「まさか、わたしが」と笑った。

「そんなものには手を出しませんよ。それにたとえ手を出しても、同じ虚無感を味わうのがオチだということも承知しているつもりです。きっと「本物の麻薬」が欲しくなって世界を旅するハメになることでしょう。あなたのいうように依存とみなす限りは、それは不可避です。ですが、わたしは純然たる意思の力でこれを乗り越えたのでした」

「頑張って禁煙した、とおっしゃるのですか?」

「禁煙など! わたしは今でも愛煙家ですよ」 実に愉快そうな口ぶりだった。

「わたしの出発点は、実在するいかなるタバコもわたしを満たしはしないということでした。いや、こう言い換えたらいいかもしれません。タバコの実在性こそが、わたしの虚無感の原因であったのです。ところで、君はプラトンを読んだことはありますか? エロースについて聞いたことは?」

ぼくは当惑して答えた。「いきなり下ネタですか?」

「君には別の話し方をしましょう。要するにわたしは、超越的な思念の力によって非存在のタバコに到達したのです。実在するタバコで満足できないのなら、存在しないタバコならどうだろう、と考えたわけです。いわば発想の転換ですね。そして、効果はてきめんでした。このタバコは、わたしに完璧な満足を与えてくれます」

「お言葉ですが、存在しないものを吸うなんて、荒唐無稽ではありませんか?」

「さにあらず! 実在するタバコを吸う時、脳はこの実在するタバコ以外のタバコを激しく欲求します。このことについてはすでにお話ししましたね。では、この脳の欲求に非存在のタバコを与えてみましょう。するとこの非存在のタバコは、非存在のままに脳の欲求を満たすのですが、同時に脳の欲求において、非存在のタバコは存在するものとなるのです。なぜならわたしたちは実在しないものによっては、満たされないのですから。わたしは、この非実在のタバコの銘柄を『イデア』 と名付けました」

ぼくは彼の知恵に感嘆した。「ああ、ひょっとすると、欲望を満たすその実在性こそが、ぼくたちの依存している当のものなのではないでしょうか」

「まさにそうなのです。ですがこの本質的依存症についてはまたいつかお話ししましょう」

彼はそう語り終えると、長く長く息を吐いた。そして、あたかも見えない紫煙を追うかのように、視線を宙に漂わせた。

「ああ、もうすでに吸ってらっしゃるのですね。その『イデア』と呼ばれるタバコを」

「ええ、ですが健康のことを考えて、現在は『イデア・スーパーライト』にしています」

2010年9月18日土曜日

何度でも可

「たった一度の人生だから、精一杯好きなことをやって生きるのだ」と語る人物よりも、たとえ百億度目の生であろうと何であろうと、その幾万度目かの生においてオケラであった当時も、あるいはまた幾億度目の別の生においてナマケモノであった当時も、また別の生においてそれ以外の畜生であったときでも、精一杯好きなことをやって生きてきたし(たとえば水辺でのんびりしたり、あるいは樹木にぶら下がったりしてなど)、そして今まさに人として生を受けた今生においても等しく一切手を抜かずに「精一杯好きなことをやって生きています」と語り、その挙動からすでにして来世においても同様の頑張り、及びしゃかりきぶりが明らかに期待できる人物のほうがどれだけ好ましく感じられるだろうか。我が弟子たちよ、よくよく考えるがよい。

2010年9月3日金曜日

遺族屋

その男はわたしの目の前に突然立ちふさがり、こういった。

「遺族はいかがですか? あなた亡き後、あなたのために遺族となってくれる者は?」

「ああ、ぼくはあいにく死ぬ予定はないですし、たとえ死んだとしても、家族持ちなので間に合っています」

「なんと、あなたはご自分の家族を遺族とおっしゃる。残念ながらそれは大きな見込み違い。あなたの家族はせいぜいがとこ、数粒の涙とともにあなたの汚らしい骨を壺に突っ込んで、墓の下に投げ入れるのが関の山。それであなたはおしまい、というわけです。ま、体のよいお払い箱です。ですが、このわたしにお任せ下されば、このわたしを遺族として下されば、おお、あなたは永遠に生き続けます。

わたしはあなたの死から、未完のプロジェクトを、壮大な見果てぬ夢を引き出して見せましょう。あなたのあまりある無念をひっさげて、世間に訴えかけましょう。静かな共感の輪を広げて見せましょう。遺族会を結成してみせます、支援者の集いを開催します。あなたときたら死せる孔明さながらです。

あなたの死によって、法律を変えてみせましょう。あなたの死によって社会を改良してみせましょう。あなたは歴史の本でこんな文句に出くわしたことはありませんか? 『だれそれの死をきっかけに、運動が盛り上がり、ついには政府を動かした』と。 そう、次はあなたの番です。もしもわたしを遺族にお選び下されば、あなたの名前が歴史に刻まれるのです!

わたしは決してあなたの死を無駄にはしません。これが遺族として、わたしができる最良のお約束です! さあ、いかがでしょう。こんな機会は滅多にあるものではありません。今すぐ、わたしを遺族として任命して下さい。わたしをあなたの生命保険の受取人にするだけの簡単手続き! さ、署名とはんこを! 後は心安らかに死んでください!」