2012年1月1日日曜日

一日を最後の日のように

震災以後、彼は生きる態度を変えた。

人間の弱さ、儚さ。そして、それにもかかわらず生きようとする人間の尊さ。

「俺の命もいつあんな風に失われてしまってもおかしくないのだ」

今日この日が自分の最後の一日かもしれない、そんな気持ちで必死になって生きよう。彼は固く心に誓った。

彼は自分の人生を振り返った。犯した罪や不和、いさかい、過ちにまみれた人生。

「孤立や分断ではなく、和解と融合によって生を終えたい」

憎んだり憎まれたりした人々、裏切ったり裏切られた人々、誤解を互いに放置したままの人々、しかるべき謝罪をしなかった人々。これらの名前をすべて書き出した。膨大なリストになった。

彼はそのすべてに電話や手紙で連絡を取り、ただ謙虚に許しを乞うた。時には会いに行ったりした。一日仕事だった。しかもこれは毎日やらなくてはならなかった。「人生最後の日のメニューが日替わりであってはならん」 これが彼の口癖だった。もっとも、誰一人、その意味は理解できなかったのだが(このわたしにも)。ともかく、今日この日が自分の最後かと思うと、どうしても許しを乞わずにはいられないのだ。

また同時に、彼にとっていかなる出会いもかけがえのない貴重なもののように思えてきた。外に出ると、見かける人すべてがいとおしくてたまらない。

「俺はどんな人との触れ合いもひと時も逃したくない、一期一会に徹して死を迎えたい」

そんなわけで、街のあちこちで必死の形相、決意の覚悟で人に声をかける彼の姿が見かけられるようになった。

彼がこんな生き方を始めてから、一週間が過ぎ、一月が過ぎ、一年が過ぎ、一〇年、二〇年と過ぎた。

今では、街中の人が「彼の最後の日が今日来ればいいのに」と思ってる。

1 件のコメント:

  1. 前世紀の(!…なんとしたことか。私どもの世紀はとおに過ぎ去ってしまったのです。)の偉人、サミュエル・ベケットに"pour finir encore"『また終わるために』という著作があります。私たちは前世紀をかけて終わろう、今度こそ終わろうと励み続け、ついに核爆発まで試みてきたのですが、つねに誤り、終わり損ねてきたわけです。もう終わろうとするのは止めにして、終わらない時への感受性と社交の身振りとを整えなくてはなりません。その探索のヒントは、截然と横断する赤と白との切断線にあります。すなわち、それは紅白の横断幕であり、同時にドンキホーテ(!)にて購入したと言われるk.umedzuのロングスリーブのボーダーTシャツにうっすらと浮かぶあばら骨の隙間にこそ、私どもが求める生きる術が見いだされるはずなのです。

    返信削除