2011年8月31日水曜日

『存在と反省』

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★★★★★ ポストポストモダンの『方法序説』 2011/8/31
By 生涯一哲学徒 レビュー対象商品:存在と反省 (フランス新思想叢書) (ハードカバー)

現代フランス思想の最前線に立つ哲学者、ジャック・バラン氏の主著の待望の翻訳。主体の危機の時代にあって、新たな主体の確立を目論む著者は、その特異な主体論の基礎に「反省」を据える。しかし、その「反省」がカルテシアン流認識論の上に立つものではなく、多分にエシカルなものとして構想されているのが、氏の新味といえる。

日本の読者にとって興味深いのは、ここで哲学者がこの倫理的なréflexion を論ずるのに、日本語の「懲りる」を引き合いに出していることだ。日本で教鞭をとったことのある氏らしい議論の展開であるが、氏はこの「懲りること」こそが「大国が小国を破滅させる戦争と災厄の時代」を繰り返さないための新たな主体の「決意」なのであると訴える。そして、氏がデカルトに倣って行う次のような主体定義は、本書の白眉とも言える。「Coriro, ergo sum(我懲りる、ゆえに我あり)」 。

しかしながら、「反省」一辺倒では前には進まないのはもちろんのこと。本書の後半の議論は、この「懲りる」という認識論的手続きを経て、いかに新たな主体を生成していくかということに費やされる。氏は「懲りること」ことの対義語は「懲りないこと」ではない、それは「懲りることから癒されること」であると喝破する。これは端的にいえば、主体とは「懲りること」と「癒されること」との絶えざる弁証法的緊張関係においてのみ存在しうるということであるが、同時にこの緊張関係を維持する装置が担保されていなくてはならない。ここで哲学者はジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの「機械」概念を援用しつつ結論に到達する。新たな主体の確立には「懲りを癒す機械」が必要なのだ、と。

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