2013年7月27日土曜日

霊の名前(1)

鬱蒼とした森の上に古びた鐘楼が迫り上り,山道を登るにつれ修道院がゆっくりと姿を現した。

一歩一歩踏みしめながら佐海は椿陽一のことを考えていた。まったく信じられないことだった。学生時代にその鋭利な知能を恐れられた彼,誰もが有望な前途を疑わなかった輝かしき親友が今,この世に隠れた修道院で息絶えようとしているとは。昼を過ぎた辺りから曇りはじめた初夏の空は次第に陰気さを増し,それに急かされるかのように佐海は足を速めた。

不意に竹薮がざわめき,奇怪な風体の男が姿を現した。「おおお,ここは悪霊の巣じゃぞ!」 ぼろぼろの僧服から突き出した裸足の足を踏ん張って佐海の前に立ちふさがり,獣のように叫ぶ。「お前には手に負えぬぞ!」 歪んだ顔で睨みつけるその目はギラギラと狂気に燃えていた。 「悪霊どもよ! 有効じゃ!」 男は手にぶら下げた何かを振り回した。それが鶏の死骸であることに佐海は気がついた。「ゆーうーこーうー!」

そのとき,犬の鳴き声が修道院のほうから聞こえた。怪人はとたんに怯え出し,弱々しげな目で辺りを見回す。と,ううう,と唸りながら,再び藪の中に飛び込んだ。激しい葉擦れの音が遠ざかっていった。

佐海はこの異常な雰囲気にまったく圧倒されてしまった。修道院の鉄門の前にようやく立ったときも,彼は身の震えを抑えることができなかったほどだった。

呼び鈴を押さぬうちに,玄関から老人が小走りにやってくるのが,鉄柵越しに見えた。老人は鉄扉を開き,控え目な笑みで客を迎え入れた。「犬が吠えたもので! もうおいででになったとピンと来たわけで!」

老神父は佐海の青ざめた表情に気がついたとしても,それにこだわっている余裕などなかった。彼は明らかに佐海の来訪に有頂天になり,また同時に深い安堵を感じていた。

「お待ちしておりました! ええ,間に合いましたとも。本当に良かった! 今は落ち着いております。どうぞこちらへ!」 一匹のグレーハウンドがどこからともなく走り寄り,二人を玄関へと先導した。

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