2010年12月21日火曜日

クリスマスの夜に

夜、羊飼いたちが羊の番をしていると、天使が大勢でやってきて「今日、あなた方のために救い主がお生まれになった」と告げ、神を讃美した。

天使の出現に驚愕した羊飼いたちは、急ぎ町に向かい、そこで天使の言葉通り、生まれたばかりの赤子が飼い葉桶ですやすや眠っているのを見いだした。

「天使のいわれたことはまことに正しかった!」

彼らは自分たちに起きた不思議な出来事についてその子の両親に語り、熱烈に神を讃美した。

さて、羊飼いのなかに、ひとりの老人がいた。長きにわたる放牧生活のため、彼の肌、毛髪、肉体、衣服ばかりでなく、知性もまたすっかり消耗しきっていた。彼の人生はといえば、自分が最後に屋根の下で眠ったのはいつか、また最後に顔を洗ったのはいつかも思い出せないくらいの貧しく厳しいものなのであった。

もし救い主が現れるとしたら、彼のような人のため以外にはありえなかった。その意味では、天使が彼を含む羊飼いたちを救われるべき者たちの代表として選出し、その目の前に現れて、救い主の誕生を告げるというド派手なパフォーマンスを行ったのは、間違っていなかった。絶大なる神学的効果があった。

ただし、老人がそれを真に受けてしまった、という誤算を除けば。

その日から、老人はマリアとヨセフのところにひっきりなしにやってくるようになった。救いはまだか、救いはまだかと矢の催促だ。ぐっすり眠っているイエスを覗き込んでは、早くしろとばかりに揺すったり、「まだ寝てる!」とぷりぷりしたり。びっくりしたイエスが泣きはじめると、カンカンになってマリアとヨセフに難癖を付けた。「お前たちの教育が悪いから」というのだ。かと思うとオイオイ泣き出した。「これじゃ救いも台無しだ!」と絶望的になって。

マリアとヨセフは困り果て、熱心に神に祈った。すると、天使が現れて、幼子イエスがいつ救い主としての活動をはじめるかを告げた。

これで厄介払いできる、とばかりに二人は哀れな老人に大急ぎで話す。したら、そのじいさん怒るまいことか。

「えっ30年後だって。ふざけんな! そんな先のことなんか、構ってられるか。だいいち俺がそんなときまで生きてられるか。あのくそ天使どもめ! 俺を演出のために利用しやがった! まるでクリスマスツリーの吊り飾りみたいに。電飾みたいにピカピカ光らせて、用が済んだらご退場とばかりに捨てやがった! もう頭にきた! 救いなんぞ一切ごめんだ。後から来たってもう知らない! 俺はテコでも救われない!」

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