2011年1月31日月曜日

論語のもっと新しい読み方

昔、ある牧師曰く。

「わたしは60歳になりましたが、60歳というと、孔子がこんなことを言っているんですね。『六十にして耳従う』と。耳従うとは、多分、相手の話をよく聞けるようになるとか、相手の忠告をわだかまりなく受け入れることができる、というような意味ではないかと思うのですが、孔子がこんなことを言う、というのは、多分、自分がそうしたことができないことがままあるので、そうしなくちゃいけないなあ、という自戒を込めてですね、語ったと思うんですね。

「孔子ほどの聖人が、そんな自戒をするのですから、わたしのような凡人が、相手の話をよく聞くなんてできっこないんですね。そんな偉い人ができないんだから、自分が無理して相手の話なんか聞こうとするのは無駄というか、むしろ、そんな無理はするな、っていっているような気がしまして、つまり、逆に、相手の話なんか聞くもんじゃない、っていう意味で孔子は言っていたんじゃないかな、と思いまして。他人の忠告なんか聞かずに自由に生きよう、って考えると、励まされたというか、60になってますます人生楽しくなったという次第で」

そりゃ楽しくなるだろ。

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