2011年7月1日金曜日

抗議文(1)

その次に彼がわたしを連れてきたのは、地獄の洞穴の中の広大な広間でした。その中央には血糊にまみれた巨大なテーブルが据えられており、それを囲んで見るも恐ろしい風体の鬼たちが喧々囂々と議論しているのでした。

その様子はいかにと申しますと、ひとりの鬼が「ぎゅべどすとかぶる」といえば、もうひとりが「ぶがれていぇうえう」と喚いてテーブルを叩くといった具合で、鬼語を解さないわたしには鬼たちが何を論じているのか皆目見当がつきかねるのでした。

とはいえ、鬼たちがホワイトボードに鬼の文字で何かを書き付け、それを読み上げては訂正すると言った作業を繰り返している、つまり何らかの文章を推敲しているのは容易に見て取れました。

やがて、ついにその文章が完成したようでした。ひとりの鬼が巨大な硯で人間数人を擂りつぶすと、別の鬼がその血の墨に筆を浸けながら、人間の皮をなめして作ったおしゃれな便箋に丁寧に清書しました。文書が封筒に収められると、鬼たちは、一仕事終えた喜びからでしょうか、奇声を上げながら手を打ち鳴らすのでした。

「この性悪な鬼たちはいったい何をしているのでしょうか?」と尋ねると、彼は次のように答えました。

「これらの鬼たちは抗議文を作成していたのだ」

わたしは仰天して叫びました。「抗議文? いったい鬼が抗議文に何の用があるのでしょうか?」

これに対する彼の答えはまことに奇想天外といってよいものでした。

「これらの鬼たちは、大災害や戦争が起こるたびに生者どもが『まるで地獄のよう』とか『あたかも地獄のごとし』、『生き地獄に等しい』などと表現するのに憤慨しているのだ。なぜというに、鬼たちの見解によれば、鬼のいない地獄などありえないのだから。ゆえに、鬼たちは自分たちの尊厳と権利を守るために、鬼がいないのにあえて地獄などと呼ぶのは鬼という職業を軽視したはなはだしい侮蔑であると、生者どもに対して厳重に抗議すべきだと決意したのだ」

「としますと、あそこに集っている鬼たちは、ちょうど鬼の業界団体のようなものなのでしょうか」

「まさしくそうだ」

「鬼たちが自分たちを守ろうとするのはわかります。ですが、生者たちにもそれなりのわけがあるのです。多くの貴重な命が一瞬にしてむごたらしく失われるさまを目にしたら、誰しもこれは地獄だと言わずにおられないのでございます。それに、まったく鬼がいないわけでもないのです。この世を『生き地獄』と語る人々にとって、そのような苦しみを与える人々そのものがあたかも鬼であるかのようなのです」

「ああ!」と彼は憤然として言いました。「それ! それ! それ! 鬼はそれを我慢できないのだ!」

彼の言葉の意味をはかりかね、わたしはただただ唖然とするばかりでした。

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