2011年7月30日土曜日

遺書教室(6)

舞茸が生える秘密の場所までは、山の中を一時間ほど歩かなければならない。たいした距離ではないようだが、険しい斜面が続くので、四反田のような巨漢には容易ではない。

はたして二〇分も歩かぬうちに音を上げだした。「休憩! 休憩!」

「まだ半分も来ていませんよ。日が暮れる前に帰ってこなくちゃならないんで、休む暇なんてありません」

すると、しばらくは黙って付いてきたが、やがてぶつぶつ言い出し、ついには座り込んでしまった。

そこで「もう先に行けないんなら、ここで引き返しましょう」というと、「ははーん! さては教えるのが惜しくなったな! わたしを疲れさせて諦めさせようっていうんだ!」と、すごい目つきで睨む。

わたしは必死になって否定したが、そうすればするだけ彼の疑心暗鬼は募っていくようだった。

「じゃあ、こうしましょう。ここで待っていてください。わたしが一人で採ってくるから」

これはまったく逆効果だった。自分が置き去りにされると思ったのだ。「人殺し! 人殺し!」と喚きだした。「狼の餌食にするつもりだな!」 巨体を振るわせてわたしを罵りはじめた。「死ね!」ともいった。

わたしもできればその期待に応えたかった。だが、遺書なしでは!

わたしは周囲の木の根元を探し始めた。もしかしたら、舞茸が生えてないか、と思ったのだ。木々の根元の落ち葉や枯れ枝をそっと払う。すると何かキノコらしきものが姿を現す。わたしが顔を近づけて調べようとしたそのとき、四反田の手が伸びて、根こそぎかっさらった! 

瞬く間に口の中に!

「わたしを騙そうったってそうはいかないんだ!」 口をもぐもぐさせながら叫ぶ。

「うまい! うまい! これぞ幻の舞茸!」 小躍りしてる。高笑いしてる。頭を激しく振り出した。わけの分からないことを口走ってる。よだれを流しはじめた。全身が痙攣してる。

毒キノコだ!

それからほぼ二時間のあいだに、先生はすべての生命力を燃やし尽くした。祝祭の如き舞踏、嵐のような笑い、恩寵に似た涙が、先生の命を縮めたのだ。キノコに愛されし男の辿る末路だ。

先生は今や息も絶え絶え、わたしの目の前にぐったりと横たわっていた。ときおり、痙攣が彼の身体を飛び上がらせる。わたしは憎しみに燃える。キノコめ! こんなになってまで、まだこの人を踊らせようとするのか・・・・・・。

だが先生はやさしくわたしを見つめている。何かをいおうとするが、もはや声も出ない。ただ指を持ち上げ、自分の胸ポケットを指すのみ。わたしはそこから折りたたまれた白封筒を取り出す。わたしの目からどっと涙が溢れ出る。先生は微笑みながら目を閉じた。

そこまでの覚悟で! わたしはむせび泣く。先生は死ぬ覚悟でこの山にわたしとともにやってきたのだ! そこまでしてわたしを教え導こうとしていてくれたのだ。わたしは先生の残した封筒を見つめて誓う。きっと素晴らしい遺書を書いて死にます、と。

わたしは封筒を開ける。先生が残した最後のレッスン、血で贖われた正真正銘の遺書を見るために。

中は領収書! 受講料の!

と、どやどや誰かがやってきた。あまりの騒がしさに村人たちがやってきたのだ。わたしは慌てて身を隠す。はて天狗どんの宴会か? いや、イノシシが発情してんだ! みんな口々に言い合ってる。だが、すぐに四反田に気がつく。ただちに救助隊が呼ばれる! 担架に乗せるだけでも大仕事だ。不意に擦れた叫び声。「舞茸!」 

野郎め、生きてやがった。「舞茸! 舞茸!」 わたしは一目散に逃げ出した。一気に山を駆け下りた。もう遺書なんかバッカらしくて! こういった手合いがのうのうと生きているのにしおしおと自殺するなんて、まったくもって自殺行為にちがいない。

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