2011年7月28日木曜日

遺書教室(3)

遺書教室は都内にあった。最寄り駅は四谷と九段下だ。 四つ木と九品仏からも行けるが少々歩く。生田からは遠くて全然行かれない。

講師には死神みたいな男を想像していた。だが、現れたのは太った大男で、フウフウいいながらわたしを小さな部屋に招き入れた。そこには小さなデスクと椅子が二脚あるきりだ。

「今日一日おつきあいいただく講師の四反田と申します。講義を始める前に、まず受講料2万円の方を先にお納めいただきたいのですが。前払いというわけで、ま、取り損ねが多いわけなんで」

金を払う前に死なれちゃ困るってか。わたしから金を受け取ると、四反田は講義をはじめた。

「あらかじめ申し上げておきますが、オリジナリティがあって歴史に残るような遺書を書くためには、本校のコースをしっかり受けていただかなければダメです。これだけは強調しておきましょう。ですから、ここでお教えするのは、ま、ほんの遺書のまねごと、というわけで。ところで、以前遺書をお書きになったことはありますか?」

わたしは、友人から酷評を受けた例の遺書を差し出す。

講師一読して「はっ、これは、なんというか。わたしたちに対する挑戦状とでもいいますか」

「やっぱり、ダメですか」

「なかなかこれでは死ねないと申しましょうか。これ自体は万死に値すると思うのですが・・・・・・」

人から死ねといわれて落ち込まない者がいるだろうか。しゅんとしたわたしをみて講師は哀れに思ったらしい。

「でも、これは最悪ではありませんよ! もっとひどいのなんていくらでもあるんです。遺書として鬼への推薦状を書いた者だっています」

「鬼への推薦状!」

「ええ、地獄の鬼に宛てて自分がいかに地獄の鬼にふさわしいか、切々と記した者がいたのです」

「それではもはや遺書とは申せますまい。きっと就職できないのを苦にして自殺したんでしょうな」

「いえ、存命です。諦めたのです、自分は自殺に向いていないと」

これは警告だった。授業に身を入れねば!

「さて、本当に素晴らしい遺書を書くのは難しいと申しましたが、それは遺書が詩であるからです。人が長い年月の修練を経てようやく詩人となるように、遺書を書く人、すなわち遺書人となるのにもそれ相応の努力を払わねばならないのです。ですが、この目まぐるしい現代社会において、そんな悠長なことは言ってられない、早く遺書を書いておさらばしたい、という方がおられるのもまた事実です。わたしたちはこうした傾向に必ずしも賛成する者ではありませんが、それでも時代のニーズに誠実に向き合うのもまた義務であると感じている次第で。ま、そこでこうした方々にお勧めしているのが、歴史上著名な遺書をフォーマットとして利用し、それをパーソナライズすることによって、遺書としての使用に最低限耐えるような作品を仕上げるという、当学校が独自に編み出したメソッドなのです」

なんだ、有名な遺書をパクるのか。

「もちろん、どのような遺書をフォーマットとして選ぶか、そして、どの程度のパーソナライズを施すかによって、難易度はまったく異なります。わたしの見るところ、あなたにはこの遺書がぴったりなようです」

と講師はファイルから紙一枚を抜き出してわたしに手渡した。「これは日本でもっとも有名な遺書のひとつであり、またもっとも心動かすもののひとつです。これをあなたらしく書き換えてみることこそが今日一日の課題なのです」

その紙には次のように記されていた。

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父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。・・・・・・
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